近況報告☆ | 日々楽しく♪

近況報告☆

今日の記事は別館ブログを同じ内容になってます。

ここまでブログを放置した事がなかったので
皆様にはご心配をかけてしまったと思いますあせる

プチダーへのお見舞いコメント、そして私の身体のことも
心配するコメントやメールをいただき、本当にありがとうございました。
お返事がかなり遅くなってしまって、ごめんなさい><。

更新できなかったこの10日間、色々な事が起こり
ブログを更新する余裕がありませんでした。
後日、詳しく記載する日もありますが、まずは簡単に
10日間の出来事を書いておこうと思います。
長いのでサラッと流してください∑(´Д`*川

メモ11月24日・金曜
夕飯を食べた後、水分補給をさせたと同時にプチダーが嘔吐。
ただ、もどした後も熱も出ず下痢を抜かせば治ったかと
思うほどに元気いっぱい。

メモ25日・土曜
プチダーの嘔吐は落ち着き、後は下痢さえ治れば完治しそう。
ただ、下痢のせいでお尻がかぶれてしまい
オムツ交換の時、とても痛いそう。
頑張ろうね><。いい子だねぇ~頑張ってるもんね
と、オムツかぶれに気づいた時に言いながらオムツ交換をしていたからか
その後は、オムツ交換するたびに自ら
『いい子ねぇ~><』と言いながら、痛みに耐えてました。
この姿がとても健気でかわいそうなほど。

メモ26日・日曜
プチダーの様子は相変わらず下痢&オムツかぶれのみ。
朝、7時から3時間の間に、私が嘔吐を6回ほどしてしまい
午後から、38度を越える熱が出てしまい、39度近くまで上がった。

ダーと義父は下痢のみ、義母は嘔吐、とうつらないように
気を付けていたにもかかわらず、家族全員にうつってしまった。
ただ、胃の激痛は私のみΣ(T□T)

食べたら食べたで吐いちゃうので胃がからっぽの状態で
夜になると、胃に激痛が走り横になっても寝れず

ジッと横になり、ひたすら痛みに耐えては吐くを繰り返す夜でした。

夜になり、プチダーの身体に蕁麻疹が出てしまった。
思ったほど痒がってはおらず、1,2時間で消えるものばかり。

メモ27日・月曜
プチダーは、下痢が続いてるものの、元気いっぱい。
私は、この日も胃の激痛はおさまらず、あいかわらず
胃の痛みに耐えながら、トイレに駆け込む、の繰り返し。
胃の痛みは、日曜よりも激しく痛み、息をすることもつらい時さえありました。

義母も完治したわけではないのでプチダーを預ける事もできず
かといって、相手をする余裕なんてなく、ただ寝室で横になってました。

そんな私を相手に、わがままを言わずに一緒に隣で横になってくれ
トイレで私が吐いていれば、背中をトントンしたり、さすってくれるプチダー。
お昼寝も私が起きるまで寝てくれて、すっごく助かりました。

本当は遊びたいだろうし、わがままも言いたいのに我慢させてしまう事も
とっても辛かった。
健康って本当に大切で感謝しないといけない、と改めて思ったよ。

早めに帰ってきたダーと3人で病院へ行き
プチダーには、オムツかぶれの塗り薬・
軽い下剤止め&抑じんましんの総合薬を処方してもらいました。

私の胃の激痛は、胃痙攣でした・・・
胃痙攣については、後日自分の覚書として記事にします。
原因に多いのはストレス・胃潰瘍などの病気だそうです。
病院で痛み止めの注射を打ってもらい、
痛み止めの薬を処方していただき帰宅。

メモ28日・火曜
午後から胃に激痛が走るので薬を飲む。
月曜同様にプチダーはいい子でいてくれて助かった。
薬が効き、私が動けるようになるとものすごい笑顔を見せてくれた。
私が相手できるようになったのが嬉しかったんだろうなぁ~。
我慢させちゃってごめんね、プチダー。

夕方になり、一度帰宅していた祖母の様態が急変し
入院する事になってしまった、と母から連絡を受ける。
会っておいたほうがいいと言われたので、ダーが仕事から帰ってきてから
急いで病院へ向かう。
その途中、プチダーが車の中で嘔吐。
新車の匂い・空腹・新しいベビーシートなど、今までと違うので
気分が悪くなってしまったみたい。

病院へ着き、祖母と対面。
とても痩せてしまっていて、見た瞬間涙が出ちゃった。
笑顔だけ見せようと思っていたのに・・・
鼻にクダが入ってるものの、意識はしっかりとしており
私やプチダーを見てわかるほどで、『いつ来た?』など
ほんのちょこっとだけど会話ができて、少し安心した。

メモ29日・水曜
水曜は、体調も良かったので、溜まっていた洗濯などを片付けた。
祖母にいつ何が起こってもおかしくない状態、と母から聞いていたので
なんだか落ち着かない一日だった。

メモ30日・木曜
一両日中、と覚悟しておいてください、と母から聞いた姉から
午前中に連絡が入り、お昼ごろ病院へ向かう父に拾ってもらい
プチダーと二人で病院へ向かった。

午前中は少し話しもできたほどだったらしいけど
私達が病院へ着いた時には、意識がない状態。
酸素マスクをして呼吸するのがとても苦しそうだった。
夕方まで病院で過ごし、
この日は実家へ姉と甥っ子ベベ太と4人で泊まった。

メモ12月1日・金曜
午前中、母から連絡があり、祖母の容態が少し落ち着いたとのこと。
夜、母が久しぶりに病院から帰ってきて、プチダーはとても嬉しそう。
この日も実家に泊まった。

メモ12月2日・土曜
朝4時頃、『血圧が100を下回った』と、病院にいた叔母から連絡が入る。
父と母二人で病院へ駆けつけ、私達は自宅待機。
朝5時29分、母が祖母に話しかけている間に呼吸が止まる。
眠っている間にスッと呼吸が止まったらしく、近くで話しかけていた
母は、呼吸が止まったことに気づかなかったほど、苦しまずに
眠るように祖母永眠。

午後、ダーと義兄が一度自宅へ寄り、その足で祖母の家へ。
横たわっている祖母を見ても、亡くなった、とは思えず
眠っているようにしか見えなかった。
今にも起き上がって、プチダーの名前を呼んでくれそうなほど。

病院にいても口紅を差すほどキレイにしていた祖母。
そんな祖母に姉と二人で、最期のお化粧を施した。
お化粧をすると、更に眠っているみたい。
この日は、自宅へ帰った。

メモ12月4日・月曜
祖母の事は忘れないうちに記事にしておきたい、と思っているので
ここでは簡単に書いておきます。


セレモニー会場で、祖母の通夜が執り行われた。
入棺の式にも子供達・孫達・ひ孫達全員が立ち会った。
もう触れられないと思ったとたんに涙が出た。

通夜の時はプチダーがちょうど寝てくれて助かった。
この日は、実家へ姉・義兄・甥っ子ベベ太・プチダーと泊まる。
ダーは仕事の関係で一人自宅へ。

メモ12月5日 火曜
同じセレモニー会場で、祖母のお葬式。
式の最中、ひ孫達が大人しくしているわけもなく外へ。
姉と”お別れするどころじゃないね。でも悲しまないように
そうしてくれてるのかもね”と話しをした。

姉や弟も言っていたけど、祖母がもういない、と未だ思うことができません。
きっと、弟の結婚式や親族で会う時にはじめて、いないと実感する気がします。

自分の病気のことよりも、結婚していない叔母の事を最期まで心配し
身辺整理がしたいから、退院したい、と主治医に言って
ひ孫達のお年玉や弟の結婚祝いを用意し、挨拶したい人には
きちんと挨拶をして、主治医にも”お世話になりました”と自ら挨拶。
そして、残ったお金で女だけで旅行に行っといで、と言ってくれたそう。
眠っている間に呼吸が止まり苦しまずに永眠、
ある意味羨ましい最期だと思う。

最後に・・・
ご心配をしてくださり本当にありがとうございました。
これからじょじょに、ブログを復帰していきたいと思ってるので
今まで同様、宜しくお願いします。